年金の繰下げには「基礎だけ」という選択肢がある——3つの受け取り方を手取りで比較
「70歳まで待てば、年金が42%増える」。よく聞く話です。数字そのものは正しいのですが、これは額面の話です。手取りで計算し直すと、景色がずいぶん変わります。
この記事では、年金の受け取り方を3パターンに分けて、モデルケースの手取りベースで比較します。結論を先に言うと、「全部繰り下げる」と「基礎年金だけ繰り下げる」とでは、貯金の減り方に約700万円の差が出ました。
まず、しくみのおさらい
繰下げ受給とは、65歳から受け取れる年金を66歳以降に先送りする制度です。1ヶ月遅らせるごとに0.7%ずつ増え、上限の75歳まで待つと84%増えます。増額率は一生変わりません。ただし一度受け取り始めたら、やり直しはできません。
そして、ここがこの記事の核心です。年金には老齢基礎年金と老齢厚生年金の2種類があり、この2つは別々に繰り下げることができます。ここを知っているかどうかで、大きな差がつきます。
モデルケースの前提
- 65歳男性・会社員として38年勤務
- 年金月額15万円(基礎6万8千円+厚生8万2千円)
- 年下の配偶者あり(加給年金の対象)
- お住まいは東京都文京区
年金額は令和8年度(2026年度)のもの、税金・社会保険料は文京区の基準による試算です。生活費は総務省「家計調査報告(2025年平均)」の高齢夫婦世帯・月16万1,000円を使います。いずれも年度ごとに改定されるため、実際の金額とは異なる場合があります。
パターン① 65歳からそのまま受け取る
額面は月15万円ですが、そこから所得税・住民税・国民健康保険料・介護保険料が年間およそ18万8千円引かれ、手取りは月およそ13万4,400円になります(手取り率約89.6%)。
生活費16万1,000円との差は月2万6,600円の赤字。30年続くと約960万円の不足という計算です。ただしこのパターンには心強い味方があります。配偶者が65歳になるまで受け取れる加給年金(配偶者の加算を含め年額42万3,700円)です。最大5年で約212万円になります。厚生年金の加入20年以上などの条件と、届出が必要です。
パターン② 全部70歳まで繰り下げる
基礎も厚生も70歳まで繰り下げると額面は42%増、月21万3,000円になります。ここまでは良い話に見えますが、3つの注意点があります。
- 65〜70歳の5年間、年金収入がゼロになります。その間の生活費約966万円は貯金から取り崩すことになります。
- 繰り下げている間、加給年金は支給停止になります。5年分で約200万円。しかも、待っても加給年金そのものは増えません。
- 増えた分に税金・社会保険料がかかります。天引きは年間約33万5千円になり、パターン①より約14万7千円増えます。額面は42%増でも、手取りの増加は約37.7%(月約18万5,100円)にとどまります。
見落としがちなのが住民税です。パターン①の年収180万円なら住民税非課税に近い水準ですが、パターン②の255万円では課税世帯になります。すると高額療養費の自己負担限度額が上がったり、各種の減免・給付の対象から外れたりすることがあります。
失った貯金960万円と加給年金200万円を、毎月の手取り増5万700円で取り戻すには約229ヶ月=約19年。損益分岐点は約89歳です。
89歳という数字を、寿命の統計と並べる
いま65歳の男性は、平均であと19.68年、つまり約84.7歳まで生きる統計です(令和7年簡易生命表)。89歳の損益分岐点はその先にあり、65歳男性のうち89歳前後まで生きる方はおよそ10人に3人。およそ10人に7人は、全額繰り下げでは元が取れない計算になります。
もうひとつ、健康寿命という数字もあります。日常生活に制限なく過ごせる期間の平均は、男性で72.57歳(2022年・全国平均)。増えた年金を元気に使える時間は、思ったより短いかもしれません。どちらも平均値で個人差が大きい数字ですが、判断材料には入れておきたいところです。
パターン③ 基礎年金だけ繰り下げる(部分繰下げ)
そこで、厚生年金は65歳からすぐ受け取り、基礎年金だけを70歳まで繰り下げる方法があります。
65〜70歳の5年間は、厚生年金8万2千円+加給年金約3万5,300円で月約11万7,300円が入ります。年金ゼロにはなりません。生活費との不足は月4万3,700円で、5年間の取り崩しは約262万円。パターン②の960万円より約700万円少なく、加給年金約212万円も受け取れます。
70歳からは基礎年金が1.42倍の9万6,560円になり、合計は月17万8,560円。手取りは月約15万8,900円で、手取り率は約89.0%と、実は3パターンの中で最も効率が良くなります。税金・保険料の増え方が穏やかな水準に収まるためです。生活費との差は月2,100円の赤字まで縮まります。
損益分岐点は、失った約262万円を毎月の手取り増2万4,500円で割って約107ヶ月=約9年。約79歳で、65歳男性の平均(約84.7歳)より前に回収できる計算です。
3パターンの比較表
| ① 65歳で受給 | ② 全部70歳繰下げ | ③ 基礎だけ繰下げ | |
|---|---|---|---|
| 額面月額(70歳以降) | 15万円 | 21万3千円 | 17万9千円 |
| 手取り月額 | 約13万4千円 | 約18万5千円 | 約15万9千円 |
| 65〜70歳の年金収入 | あり | ゼロ | 月約11万7千円 |
| 貯金の取り崩し | — | 約960万円 | 約262万円 |
| 加給年金(最大約212万円) | 受け取れる | 5年分停止 | 受け取れる |
| 損益分岐点 | — | 約89歳 | 約79歳 |
いちばん大事な注意:順番を逆にしない
逆に厚生年金のほうを繰り下げると、その間、加給年金が受け取れなくなります。繰り下げるのは基礎年金だけ。厚生年金は65歳で受け取る。加給年金の対象になる方は、この順番が大切です。
部分繰下げの注意点
- 振替加算は、繰り下げている間は受け取れません
- 年金額が増えるぶん、医療・介護の保険料が上がる可能性があります
- 繰り下げ中に亡くなった場合、増額は反映されません(未支給分の請求には5年の時効があります)
- 2028年から、加給年金の配偶者分は約1割減となる予定です
手続きは3ステップ
- 65歳のときに届く年金請求書で、厚生年金だけを受け取る
- 基礎年金は「繰下げ希望」にチェックを入れる
- 70歳になったら、年金事務所で繰下げの申出をする(日本年金機構のHPか電話で事前予約ができます)
ここに挙げた金額はすべてモデルケースの試算です。年金の内訳や家族構成、お住まいの自治体で結果は変わります。まずはねんきんネットでご自身の見込み額を確かめて、具体的な判断は年金事務所でご相談ください。
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この記事の損益分岐点や「元気なうちに受け取れる額」は、当サイトの年金の繰下げ 損益分岐 目安計算で、ご自身の年金月額を入れてその場で計算できます。入力した内容は保存されません。
出典
- 日本年金機構「年金の繰下げ受給」(増額率0.7%/月・最大84%) (2026年8月25日確認)
- 日本年金機構「加給年金額と振替加算」 (2026年8月25日確認)
- 厚生労働省「令和7年簡易生命表」(65歳男性の平均余命19.68年) (2026年8月25日確認)
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「平均寿命と健康寿命」(健康寿命は2022年値) (2026年8月25日確認)
- 総務省「家計調査報告(家計収支編)2025年平均結果」(高齢夫婦世帯の生活費) (2026年8月25日確認)